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ミスターラグビー 平尾誠二の命日に準々決勝!遺言の決勝トーナメント進出へ!

いよいよ明日ですね!W杯・初準々決勝〜

なんとも長〜い一週間でしたね、選手の皆さんの話題でマスコミも持ちきりでしたが

やはり見たいのは彼らのガッツあるプレーですね!!!

ミスターラグビー 平尾誠二への想い

『ラグビー』と言えば忘れてならないこの人の存在があります。

ミスターラグビーこと、平尾誠二さんです。

ラグビー初心者の私でもこの方の顔は知っています、

ただ、ミスターラグビー平尾誠二さんがどのような方だったのかまでは知りません…

明日、10月20日はミスターラグビー平尾誠二さんのご命日でもあります

きっとこの日を待ち望み、目の前で応援したかったことでしょう、

そのミスターラグビー平尾誠二さんについて調べ、

明日の準々決勝はミスターラグビー平尾誠二さんの思いを胸に応援したいと思います。

平尾誠二プロフィール

平尾誠二(ひらおせいじ)・1963年1月21日ー2016年10月20日・京都出身

伏見工業高校・同志社大学卒業・1986−1998年神戸製鋼

平尾誠二 ミスターラグビーの経歴


伏見工業高校3年生の時に全国大会優勝を果たした平尾誠二さんですが

中学卒業後はラグビーで名門の花園高等学校へ特待生の授業料免除対象者として

入学がほぼ決まってましたましたが、京都府秋季大会決勝戦で平尾誠二さんのプレーを見た

当時の伏見工業高校ラグビー部総監督山口良治氏がそのプレーにほれ込み

平尾さんのご自宅を訪ね当ラグビー部を薦めました

その頃の伏見工業高校は時代で言うところの「ワル」の集まり・・・

ご両親は猛反対したそうですが、平尾誠二さんは反対を押し切り入学し、

見事な結果をおさめる結果になりました。

その後も快挙は留まることなく、同志社大学ラグビー部に進みセンターとして

史上初の大学選手権3連覇を果たしております。

卒業後は英国に留学しリッチモンドクラブへ所属・試合出場を経験し

1986年に神戸製鋼へ入社、日本選手権7連覇に貢献。

1987、1991、1995年とW杯に出場し日本代表のキャップテンで

1997年から2000年まで日本代表監督を務めました。

すごいですね、何年もに渡り日本のラグビー界を引っ張ってきたような存在

当時のファンたちは「平尾さんの展開の早いラグビーを見て面白いなぁと思った」

「僕らの時の青春の大スター」「生き様もプレーも全てにおいてかっこいい」など

独創的な速攻プレーと研ぎ澄まされたリーダーシップが人々の心をも虜にしました。

平尾誠二さんの名言

その後胆管細胞がんと闘病中、2016年10月20日に53歳という若さでで死去。

心からラグビーを愛し、選手を信じ高みを目指していた平尾誠二さん

その考えや指導する中で柔軟性のある考え方や冷静な判断

一方で、気さくで人懐っこい人柄と笑顔は3年経った今でも皆の心に深く残り

明日の準々決勝は平尾誠二さんの思いとともに戦います!

平尾誠二さんが残した言葉を紹介して私も明日に挑みます!

 

 

人間は生まれながらに理不尽を背負っている。

大切なのは、なんとか理不尽な状況に打ち克って、

理想の人生にできるかぎり近づこうと努力すること。

その過程にこそ生きることの醍醐味というか喜びもある。

 

 

娘さんがご結婚する時に送った言葉

相手が何をもっているかは重要じゃない。

その人のもっているものが何もなくなったときに、

好きでいられるかどうかが大切や。そういう相手と結婚すべきや

 

 

平尾誠二さんが亡くなる2日前、娘さんが妊娠の報告をしています

赤ちゃんができたよ。パパはおじいちゃんになるんだよ

娘さんはきっとお孫さんと明日の試合を応援していることと思います

頑張れ日本!!!