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大崎会長 松本人志と関係濃密な訳、吉本興業の知られざる裏事情!

世間を賑わせ、終息する方向に向かうどころか、政治家達までが間接的にコメントを出す事態となっている吉本興業の大きさと影響力、またずさんな会社経営が浮き彫りになっていく日々の報道。松本人志さんの発言も更に大きな話題を呼んだ「大崎会長が辞めるなら、僕も辞める。」とまで言わせた大崎会長とはどんな人物だろう、また大人気で今や「お笑い芸人」にはとどまらず幅広い分野で活躍する松本人志さんとの濃密な関係が築き上げられるまでには何があったのでしょう。

吉本興業大崎会長・プロフィール

大崎洋(おおさきひろし)1953年7月28日大阪府堺市出身・関西大学社会学部卒業
1978年吉本興業に入社・入社理由「私服OKの会社だったから。」

松本人志さん略歴

松本人志(松本人志)1963年9月8日兵庫県尼崎出身・血液型B型
NSC「吉本総合芸能学院(よしもとそうごうげいのうがくいん)」大阪校1期生

大崎会長と松本人志さんの出会い

1980年代はまだ松本が20歳頃、松本も大崎も仕事が無く、ヒマをもてあました2人で映画館や銭湯等によく行っていたとの話はよく聞く話だ。この頃に出会い松本人志さんの才能、ダウンタウンのコンビとしての才能を見出していたのでしょうか、後に1995年に開校された「吉本総合芸能学院」」の担当社員となった大崎会長は、この頃二人のマネージャー的存在として業界の手取り足取りノウハウを教え兄貴分の関係を築いたと言われている。

吉本興業の知られざる裏事情・吉本総合芸能学院は赤字スタート

当時、吉本総合芸能学院の入学金は3万円、月謝は1万円。スタートした当時の1期生は70〜90人。そんな中 1期生は以降のNSC存続のため、スターを生み出さなければいけないという会社の至上命令があり、ダウンタウン、ハイヒール、トミーズ、銀次・政二の4組を主に、新人の売り出し作戦が行われ、ダウンタウンは大阪で大ブレイクを果たす。これが漫才ブーム第二期の始まりとなる。

大阪で満足するダウンタウンを東京へ

大ブレイクし、一気に大阪で人気の頂点に立ったダウンタウンは当時の大崎会長に東京進出を進められる。松本人志さんはこの頃の事をネタにして「大阪で満足していたが、遠くて近い外国TOKYOに無理やり移住させられた」と笑いを誘った、その後東京でのダウンタウンの勢いはとどまる事なく今の活躍に至ります。この頃同時期に様々な芸人さんが東京進出をしていますが、多くの方が大阪に戻り再スタートをしています。勢いだけでは難しく、近い外国TOKYOではそこで生きて行ける才能がいるのでしょうか、また一発屋と言われる芸人さんの多い中ここまでのスターダムにのし上がったダウンタウンの陰には、この二人でけでは成し得なかった大崎会長の力が大きかったと言えるでしょう。売れない時代を共に過ごし、苦楽を共にした生き様は経験した人たちにしか分からない絆となっているのでしょう。

まとめ

義理と人情で成り立った絆、今の時代の若い人たちが経験できないものかもしれません。
時代は移り変わりますが、義理人情を新しい形に変化させながら代々受け継がれていってほしいですね。